花を選ぶように、AIとも向き合う
こんにちは、DXGO編集部&ユーザックシステム マーケティング本部の大崎です。
今回の実践ブログは、これまでのマーケティング(ビジネス)寄りのシリーズとは少しトーンを変えて、全4回でお届けする“花と生成AI”の小さな実験記の第4回(最終回)です。
私は平日、デスクワーク中心の仕事をしていますが、週末は花を束ねています。
市場で出会った花を持ち帰り、下処理をして、水に休ませ、お客様のもとへ送り出す。
その一連の流れの中で、私はいつも「花に向き合う姿勢そのもの」が、自分の働き方にもつながっていると感じます。
そして生成AIを使うようになって、
「AIとも、花を選ぶときと同じ姿勢で向き合えばいい」
そんなことを思うようになりました。
花を選ぶときに大切なのは “理由” ではなく “感覚”
市場で花を選ぶとき、私は細かな理屈より、まず“気配”、“雰囲気”を見ています。
今日はこの色がしっくりくる。
この花びらのゆらぎが、今の気持ちに合う。
少し元気がほしいから、明るい色を選んでみよう。
選ぶ理由はあとからついてくることが多く、
実際はもっと曖昧で、もっと個人的な感覚によって選んでいます。
AIとの向き合い方も、これとよく似ています。
「どんなプロンプトが正しいのか」
「どう使えば効率が最大化されるのか」 そんな“正解探し”から離れ、
自分の感覚を確かめるための相手としてAIと対話する。
それだけで、返ってくる言葉の受け取り方が大きく変わります。
AIは“道具”ではなく、“問いを返す鏡”
AIに相談すると、時に思いがけない言葉が返ってきます。
第3回で書いたように、それは自分でも気づいていなかった感情を照らし出すことがあります。
そして、その言葉がしっくりくるかどうかを確かめる過程で、
自分の感性が何に反応しているのかが見えてくる。
花に向き合うとき、
「この色は好きだけれど、今日は違う気がする」
そんな微妙な違いに気づく瞬間があります。
AIとのやり取りにも、同じような“観察の時間”が流れています。
AIはただの道具ではなく、
自分の内側を映す静かな鏡。
向き合えば向き合うほど、その鏡の中に映る“自分”が少しずつ変化していくのです。


選ぶという行為は、自分を知ること
花屋の仕事をしていて思うのは、
「選ぶ」という行為そのものが、すでに“感性の表現”だということです。
たとえば、同じラナンキュラスでも、
ふわりと丸い八重咲きのものを選ぶ日もあれば、
少し固さの残る蕾や、一重咲きの花を選ぶ日もある。
選んだ花は、その日の自分の気持ちをそっと教えてくれます。
AIも同じです。
返ってきた言葉の中から
「これだ」と思う一文を選ぶとき、
私たちは無意識に自分自身の“基準”を再確認しています。
その基準こそが、感性の形です。
完璧な花も、完璧なAIも存在しない
花を扱っていると、完璧に均一な花はほとんどありません。
色むらがあったり、花びらが少し折れていたり、形がいびつだったり。
でも、その“いびつさ”が美しさになることもあります。
むしろ、そこに花の個性や魅力が宿ることのほうが多い。
AIも同じです。
完璧な答えを返すわけではありません。
時には意図から外れた言葉を返すこともあります。
けれど、
その“誤差”の中に気づきがある。
不完全さの中に、新しい視点が生まれる。
花とAIは、どちらも“揺らぎ”を持った存在です。
だからこそ、人の感性がそこに作用し、意味が生まれるのだと思います。
花を選ぶように、AIと向き合う未来
市場の花の中から一輪を選ぶように、
AIが返す無数の言葉の中から、
“自分に響くもの”を選び取る。
そこに正解はありません。
その時の自分にとってしっくりくる言葉を見つけることが、何より大切です。
花が季節や心の状態によって表情を変えるように、
AIとの対話も、使う人の心によって変わります。
AIは、感性を失わせる存在ではなく、
感性を深めるための相棒になりうる。
そして花と同じように、
丁寧に、ゆっくりと、
対話を重ねていけばよいのです。
おわりに
“花と生成AI”というテーマでお届けした4回シリーズ。
花屋としての週末と、生成AIと向き合う日常。
まったく異なるように見えて、実はとても近い世界でした。
AIが普及する時代にあっても、
花を選び、言葉を選び、心で感じるという行為はなくなりません。
むしろ、
AIの時代だからこそ、人の“感じる力”がより大切になる
と私は感じています。
どうかこれからも、花を選ぶように、
あなた自身の感性に耳を澄ませながら、AIと向き合ってみてください。
🌸こちらもどうぞ🌸各6回連載がまとめて読めます。
DXGO編集長:大崎の実践ブログ
